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Re: http://rmrny3.sa.yona.la/370
「みんなが思ってるボクはほんとうのボクじゃない!」 |
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匿名ブログの人気が出すぎる→書籍化→サイン会・握手会の依頼→「ほんとうのボクを見てくれ!」的な話でしょうか。
そういえばiPodには刻印できたような。やはり「sa.yona.la」ですかね。
予想図

個人的には、少なくとも次回以降は連絡つかなかった分はキャリーオーバーに一票。
「当たったら1回休み」も。
Re: 掃除してたら出てきた。
そのタイムカン、待った |
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弊社が2000年8月から製造・販売いたしました缶入りカップヌードル「TimeCan(タイムカン)」の一部において缶の巻き締め不良が原因で缶内に空気が入り、品質に影響する可能性が生じたため、2004年3月より新聞、雑誌や弊社ホームページで告知し、自主回収を進めて参りました。
さらに徹底を期すため、この度あらためて自主回収へのご協力のお願いをさせていただきます。
該当商品をまだお手元に保管されているお客様は、下記送付先まで代金着払いにてお送りいただきますようお願い申し上げます。後日、商品代金を送付させていただきます。
また、該当商品を保管されているお知り合いの方がいらっしゃいましたら、お手数ですが回収対象品であることをお伝えください。
賞味期間の10年間を楽しみにしていただいた皆様には、ご期待に添えず深くお詫び申し上げます。再びこのようなことの無いように一層の管理体制の強化に努めておりますので、ご理解とご協力のほど、宜しくお願い申し上げます。
知り合いも買ってすごく落ち込んでたので、お知らせしておきます。
sa.yona.la T-shirt!! |
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当たりました、ありがとうございます!
何回もID見直して確認しました。
こういうのをもらえるのすごくうれしい、いい年になりそうだと思える。
さっそく送付先をheartrailsに連絡。
sbifb4さんの絵馬のご利益もあったんだと思います。
sbifb4さん、heartrailsさん、ありがとうございました!
これでますますsa.yona.laからサヨナラできなくなる。
さらっと思ったことを書くことのできる場所があるのは非常にありがたい。
会社から書く回数はもうちょっと減らさないとなあと思うけど。
公式訴状:アリエル・シャロン:概要 |
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Quote |
982年6月4日、アーゴブ在英イスラエル大使暗殺未遂事件に反応したイスラエル軍は、6月6日レバノンに侵入した。イスラエル秘密組織は暗殺未遂を、当時のイラン-イラク戦争での後退から目をそらすためにイラクの政府が徴収したパレスチナ人反体制派組織がを企てた結果だと考えていた。用意周到な準備されたイスラエル軍の軍事行動は、「ガリラヤの平和作戦」と名付けられる。
最初に、イスラエル政府はレバノンの領域へ40km侵攻する意志を表明した。その間に、アリエル・シャロン国防大臣配下の軍司令官は、シャロン氏が数か月前から準備に当たっていたよりさらに、大がかりなプロジェクトの実行を決意した。国の南部を占領し、そこに住んでいたパレスチナとレバノンの住宅を破壊すると同時に一般市民に対して一連の暴行・侵害行為を犯した。1982年6月18日までに、イスラエルの軍隊はベイルートまで侵攻し、町の西側のパレスチナ解放機構(PLO)の武装勢力を包囲した。
レバノンの統計によれば、イスラエル軍の攻撃、とくにベイルートへの集中爆撃による死亡者は18,000名、負傷者30,000名にのぼり、そのほとんどは一般市民であった。
抗戦の2か月後、仲介役のアメリカ特使フィリップ・ハビブ氏を通して休戦交渉が行われ、町の撤退地域に多国籍軍監視の下、PLOのベイルートからの撤退で合意した。予想されたとおり、ハビブ氏は引き続きレバノン軍による西ベイルートの包囲を容認し、撤退後のキャンプにおける一般市民へのアメリカの安全保証によって、パレスチナ指導者の地位も認められた。
1982年9月1日、PLOの撤退終了。
1982年9月10日、多国籍軍、ベイルートから退却。その翌日、アリエル・シャロンは「2,000人のテロリスト」がベイルート周辺のパレスチナ難民キャンプ内に残っていると発表した。レバノン大統領に選出されたばかりのバシール・ジェマイエル氏暗殺があった翌日の、9月15日水曜日には、イスラエル軍は西ベイルートを占領。14,000人以上にのぼる武装抵抗勢力をベイルートとその郊外へ撤退させるとして、住民のほとんどがレバノンとパレスチナの一般市民であるサブラ、シャティーラ両難民キャンプを「包囲・封鎖」した。
歴史家とジャーナリストの多くは、おそらく9月12日にビクファヤ(Bikfaya)において、アリエル・シャロン氏とバシール・ジェマイエル氏の間でなんらかの「会合」がもたれ、「レバノン勢力」がパレスチナの難民キャンプを「一掃する」ことを承認する協定が結ばれたであろうことを認めている。西ベイルートにファランジスト(キリスト教マロン派民兵)を送る意向は、1982年7月9日にシャロン氏によってすでに発表されており、ビクファヤ会議において作戦の交渉がされたことは彼の伝記からも確認できる。
1982年9月22日のクネセット(イスラエル議会)でのアリエル・シャロン氏の宣言によると、ベイルートの難民キャンプへのファランジスト侵攻は、1982年9月15日水曜日15時30分に決定された。またシャロン将軍によれば、イスラエルの司令官は次の通り指示を受けている。
「難民のキャンプへのツァハル(イスラエル国軍)の侵入は禁止される」
「キャンプの『掃射』はファランジスト民兵かレバノン軍によって遂行されること」
1982年9月15日は明け方から、イスラエルの戦闘爆撃機は西ベイルート上空を低空飛行しており、イスラエル軍兵士もその侵入を確認していた。イスラエルの覇権を明示するために、シャティーラの端にのクウェート大使館と配下の部隊の設営区域の接する場所に、午前9時からシャロン将軍自らは任に就く。6階建てのこの建物の屋上からは、サブラとシャティーラの町と難民キャンプをはっきり観察することが可能だった。
正午から、実際には西ベイルートの南側に広がる一つの難民キャンプ地帯であるサブラとシャティーラは、イスラエル軍の戦車と兵士によって囲まれ、キャンプのまわりにはキャンプへの出入りの許可する検問所が設置され、完全監視が行われた。午後遅くから夕方の間に、キャンプは砲弾によって爆撃された。
1982年9月16日木曜日までに、イスラエル軍は西ベイルートを掌握した。解放に際して、「ツァハル(イスラエル国軍)はベイルートの戦略的な拠点のすべてを支配する。テロリストの集中する地域、および難民キャンプは、包囲、封鎖する」と軍の広報官が宣言した。9月16日の朝、軍の高官によって以下の指令が出された。「難民キャンプでの捜査と(テロリスト)一掃は、ファランジストおよびレバノン軍によって行われる」。
http://rsifb4.sa.yona.la/156 |
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結果より↑のメッセージを押すと更新履歴が出ることに今更気が付いて絶望したorz
ヘルプは知ってたくせに…
取引の方法 |
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できるだけ相手を信用しないまま、できるだけ相手と直接会わずに取引を行う方法について考えたことがある。
自分の結論から言うと「わからなかった」。
条件は以下。
たとえば、麻薬などの取引。
お互い利害は一致してるはずだけど、どうもお互い相手が信用ならん。
ある程度定期的に行う場合はどこか人目のない場所を2ヶ所、互いに離れたところに確保し、せーので同時刻にお互いが置いて、時間をおいてやはり同時刻に確認、約束が違ったら相手の事務所に手榴弾や迫撃砲を盛大にお見舞いする、などというのがそれっぽい。
ふっるーいB級映画の見過ぎって言うな。柴田恭平も渡哲也もニコラス刑事純情派も来ない。
で、取引が一回限りとあらかじめわかっている場合はどうすればいいんだろう。
やっぱり裏切っちゃいたくならないか。こっちのカバンに爆弾詰めて置いておこうか。
でも相手も同じことを考えているとどっちも破滅だ。やはり本物を入れておくか。しかし馬鹿を見たくない。
これを確実に成立させるためにはどんな方法がベストか。
「消印のない手紙を1通だけ出せるじゃんけん。自分が後出しでないことを証明せよ」みたいな話。
もちろん今回のキャンペーンについては手段は考えてあるはずで、そんな感じの馬鹿な思考実験です。
Re: あれ
キャンペーンの結果を |
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確認するのが大変。自分のIDはなんだっけ?
当たってはいませんでしたが。
Re: 実名ブログ
昔からありましたねぇ |
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そこに書いてあることがその人の全てって思う人
昔からいましたねぇ
読者(?)に勘違いされて閉鎖したHPとかあったなぁ。
今でもあるんですね。