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今週の本棚:池澤夏樹・評 『メイスン&ディクスン 上・下』=トマス・ピン チョン著 - 毎日jp(毎日新聞)

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◇南北の境界線上に建つ物語の迷宮
 さらっと短い淡彩の小説がある一方、重厚長大な小説もある。これは後者の典型というか極致というか。

 上下二巻で千ページを超える本を前にすれば誰しもひるむ。ちょっと中を覗(のぞ)けば文体は錯綜(さくそう)して、話題はどうやら見知らぬ土地と時代のことばかりのようだ。しかし……

 地面に境界線を引く話。測量の話である。時代は十八世紀の半ば、場所は独立以前のアメリカ東部。

 この地域にはイギリス国王の勅許で開かれた植民地がいくつもあった。そのうちのペンシルヴァニア植民地とメリーランド植民地の間で境界線争いが起こり、いっそ真(ま)っ直(す)ぐな線でこれを確定しようということになって、イギリスから二人の測量士が呼ばれた。すなわちチャールズ・メイスンとジェレマイア・ディクスン。なぜわざわざイギリスからかと言えば、彼の地では「囲込(エンクロージャー)の御陰で、一介の測量屋(カタツムリ)が一人ならず御大尽となっております」という事態だったから。

 数百キロに渡る測量だからその基礎は天測。従って彼らは半ばは天文学者である。巨大な天頂儀を行く先々に運んで観測をする。実際、東西に伸びる境界線はほぼ北緯三九度四三分二〇秒の緯線に沿って確定された。この線は後に「メイスン・ディクスン線」と呼ばれた。

 これは歴史的事実である。ピンチョンは事実を土台にしてその上に何層もの階を重ね、無数の広間や小部屋や物置を構築して、通路と階段と配管と抜け道でつなぎ、とんでもなく複雑な建物を造った。この小説を読むことは、この建物の中を限りなく彷徨(ほうこう)することである。

 歴史小説だから名のある人物が何人も登場する。ジョージ・ワシントンもジェファーソンもフランクリンも出てくる。しかし作者は彼らをほんの点景としてしか扱わない。歴史に主導権を渡さず、ひたすら細部が増殖するに任せる。

 メイスンとディクスンはアメリカに来る前、イギリスから南アフリカに渡って金星の日面通過という天体現象を観測し、さらに聖ヘレナを経て、一度イギリスに戻っていた(ピンチョンはこの部分に全体の四分の一のページを割いている)。南アフリカで彼らはオランダ系の植民者が先住民を虐(しいた)げるさまを目撃する。

 アメリカに来て彼らは費府(フィラデルフィア)でパクストン団(ボーイズ)と名乗る白人の組織が米蕃(インディアン)を虐殺したとの報(しら)せに接する。この連中は更なる殺戮(さつりく)のために百四十人の米蕃が避難しているこの町に向かっている。

 二人は、「やれやれ。亜米利加(アメリカ)がこんな(丶丶丶)風だと知ってたら……」と嘆き、更に「白人の蛮行なら、喜望岬で散々見てきた。だが今になっても、あの頃(ころ)同様、さっぱり訳が判(わか)らない。自分たちは何かを理解し損ねているのだ。喜望岬でも費府でも、白人こそ、彼等の最悪の悪夢に現れる野蛮人に対し、受けた挑発に凡(およ)そ釣合わぬ暴力を揮(ふる)う悪鬼に成果てている」と考える。

 この問題はそのままアメリカの奴隷制に繋(つな)がっている。たかが東部の二つ三つの州の境界を決めたにすぎないメイスン・ディクスン線という名が歴史に残ったのは、これがやがてアメリカを南部と北部に分ける線とされ、南北戦争の象徴となり、その影響は今にまで残っているからだ。ピンチョンはもちろんそれを承知でいささか凡庸なメイスンとディクスンという人物をこの大作の主人公に選んだ。いわば彼らは多くの主題を囲い込む牧場の柵(さく)にすぎない。

 もう一つの主題として科学を挙げようか。十八世紀のヨーロッパは啓蒙(けいもう)主義の時代だった。天測の技術を持った測量士は科学の申し子である。それでもピンチョンの語る科学は生成の途中にあってしばしば不思議な道に迷い込む。

 一例を挙げれば、一七五二年九月二日、イギリスはそれまでのユリウス暦からグレゴリオ暦に切り替えた。十一日の空白が生じ、二日の翌日は九月十四日となった。後に人々は十一日間を盗まれたと言った。

 その時、メイスンは独り空白の時間に残ったと同僚に話す−−「いいかディクスン、物質世界に只(ただ)一人私は居たのだ、十一日を独り占めして」。ずっと満月が子午線にかかるその世界でメイスンはゴシック・ロマンスのような冒険をする。

 こういうエピソードがこの小説には何百も詰まっている。読者はそれを一つ一つ賞味しながら先へ進む。自分がどこにいるか不明になることも多いが、やがて見知ったところに出る。

 言い忘れたが、メイスンとディクスンの物語は、その旅に同行したウイックス・チェリコークという牧師がずっと後になって甥(おい)や姪(めい)たちに語るという枠の中に入っている。というよりこの枠が時おり参照のために引き出される。

 引用したわずかな範囲でもわかるとおり、翻訳は元の擬古文を巧妙に日本語に移し、更にカタカナ語を漢語に置き換えてふりがなを振るという工夫で時代色を演出している。

 読み始めたらしばらくは現世に戻れないと覚悟した方がいいが、それに値する名作である。(柴田元幸訳)

毎日新聞 2010年7月25日 東京朝刊

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