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高分解能=高画質、なのか、どうか |
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こんなページを見つけた。
Fellowship of the Ring - HD vs DVD
基本、DVDからキャプチャした画像を、Photoshopのバイキュービック法でHDサイズになるまで拡大したらしい。
そもそもバイキュービック法が適切だったのかとか、コントラスト等の他の処理はしたのかとか、細かいことはとりあえず気にしない。
これ見て考え込んでしまった。
個人的には、2枚目の画像なんかはDVDのほうが「好画質」なんです。
細かきゃいいってもんでもない。動画は特に。
でも6枚目は細かい方が気分出るのよね。1枚目はどっちもあり。
凧の、それも和凧のほうでは、何畳分もあるような大凧は細かく描き、小さいの(普通の)はシンプルに描くそうです。
アルバムのジャケットがLPサイズ前提からCD前提になった時にも、デザイン上で似たような変化があった。
見る画面の大小(部屋というか見る空間のでかさ≒距離、も含む)にもよるしなあ。
明けました。おめでたい。 |
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仕事 | |
呼び出されて仕事
明日は仕事始め。
さて、かえろw
WUXGAを買った |
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って、ディスプレイの画素数の規格の《「の」の連続》名前って多すぎてわけわかんない。
数字を丸暗記した方が早いんじゃないかとすら思う。
とにかく1920の1200です。26インチ。
これを選ぶにあたって、ノングレアで縦が1200あることが前提だった。
先日、小さくて古いPCをもらった。
買ったディスプレイは今までメインだったノートに繋いで、もらったPCはモニタレスで運用するつもり。ノートの方が性能がましなので、メインはこれからも当分このノート。
なので、設定を変える必要があるPCは2台。もらったPCの画面を乗っ取ってそれを一緒にひとつの画面に表示してしまい、常駐アプリ感覚で使う、と。
ノートについてる液晶はサブ扱い。
画面が広くて、入力言語を切り替える時なんかにアイコンを見失う。
マウスの速度がつかみづらい。それどころか位置もつかみづらい。
ポインタを見失ってあわててマウスを振り回していると、隣の画面で矢印が必死に這いずり回っていることもある。
でもやっぱ広いと快適。
メインのノートが1280の800なので今まで気にしてなかったけど、横1920の壁紙を配布してるサイトがすごくたくさん見つかった。1920x1200の2枚使いが前提になっている壁紙も珍しくない。
1920x1200だと、今のノートの液晶を縦にふたつ重ねてまだ余るくらいのものを横に倒して使っていることになる。
いっそこれ、縦にして、いや、横にして、どっちだ?とにかく縦長になるように置いて使ってやろうかしら。
そうすれば横は1280だったのが1200になるだけなのに比べて縦は800だったのが1920になるわけだし、Web見る分には横より縦だしなあ。
ひとつ発見があった、というか、うれしい盲点があった。
これの前に座ってると姿勢がよくなる。今までのノートだとつい俯いて覗き込むような感じになっていたんだけど、これで俯くと近すぎて逆に見づらい。
これを遠くに置くほどうちの机は広くないんです。
それにしても、無線ディスプレイって出ないかな。需要ないよな。ケーブルがさ。ぐねぐねとさ。
以下蛇足。
画面の解像度がわかりやすい壁紙。
BALMUDA design | Desktop Pictures
の、紙が重なってるようなやつ。
大きさに合わなければ切り取るなり、まぶしければ色を変えるなりしても使いやすそう。
Re: 迎春
迎撃に見えた — Re: 迎春 |
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Reply | |
攻めて行きましょう。
って打とうとしたら、誤変換で「せめて生きましょう」と出た。
以下蛇足。
自分は人を誘うのが下手だ。
遊びに行きたいとかごはんたべたいとか思っても、断られたらやだなあとか向こうにだって予定はあるだろうしとか思ってしまう。
多分そういうのは別にそんなに気にするようなことでもなくて、普通にただ誘う分には誘っても全然かまわないんだろうけど。断る権利は向こうにあるわけだし。
いい縁はほっとくと薄れ、悪い縁はほっとくと濃くなる、と言う。
数打って当たったとこに弾を浴びせるのはスパマーの基本(それにリプライがあったら、奴らにとってはそれは「いい縁」)。あ、gxvdg5さんがスパマーってわけじゃないです。
新しい交流を作っていきたいなとか、たまに何かの加減でできた交流は関係を見極めて大事に育てていきたいなとか、思った。
鴨長明 方丈記 |
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Quote | |
行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる、たかきいやしき人のすまひは、代々を經て盡きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或はこぞ破れ(やけイ)てことしは造り、あるは大家ほろびて小家となる。住む人もこれにおなじ。所もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。或は露おちて花のこれり。のこるといへども朝日に枯れぬ。或は花はしぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、ゆふべを待つことなし。』およそ物の心を知れりしよりこのかた、四十あまりの春秋をおくれる間に、世のふしぎを見ることやゝたびたびになりぬ。いにし安元三年四月廿八日かとよ、風烈しく吹きてしづかならざりし夜、戌の時ばかり、都のたつみより火出で來りていぬゐに至る。はてには朱雀門、大極殿、大學寮、民部の省まで移りて、ひとよがほどに、塵灰となりにき。火本は樋口富の小路とかや、病人を宿せるかりやより出で來けるとなむ。吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ。遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすらほのほを地に吹きつけたり。空には灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねくくれなゐなる中に、風に堪へず吹き切られたるほのほ、飛ぶが如くにして一二町を越えつゝ移り行く。その中の人うつゝ(しイ)心ならむや。あるひは煙にむせびてたふれ伏し、或は炎にまぐれてたちまちに死しぬ。或は又わづかに身一つからくして遁れたれども、資財を取り出づるに及ばず。七珍萬寳、さながら灰燼となりにき。そのつひえいくそばくぞ。このたび公卿の家十六燒けたり。ましてその外は數を知らず。すべて都のうち、三分が二(一イ)に及べりとぞ。男女死ぬるもの數千人、馬牛のたぐひ邊際を知らず。人のいとなみみなおろかなる中に、さしも危き京中の家を作るとて寶をつひやし心をなやますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍るべき。』また治承四年卯月廿九日のころ、中の御門京極のほどより、大なるつじかぜ起りて、六條わたりまで、いかめしく吹きけること侍りき。三四町をかけて吹きまくるに、その中にこもれる家ども、大なるもちひさきも、一つとしてやぶれざるはなし。さながらひらにたふれたるもあり。けたはしらばかり殘れるもあり。又門の上を吹き放ちて、四五町がほど(ほかイ)に置き、又垣を吹き拂ひて、隣と一つになせり。いはむや家の内のたから、數をつくして空にあがり、ひはだぶき板のたぐひ、冬の木の葉の風に亂るゝがごとし。塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびたゞしくなりとよむ音に、物いふ聲も聞えず。かの地獄の業風なりとも、かばかりにとぞ覺ゆる。家の損亡するのみならず、これをとり繕ふ間に、身をそこなひて、かたはづけるもの數を知らず。この風ひつじさるのかたに移り行きて、多くの人のなげきをなせり。つじかぜはつねに吹くものなれど、かゝることやはある。たゞごとにあらず。さるべき物のさとしかなとぞ疑ひ侍りし。』又おなじ年の六月の頃、にはかに都うつり侍りき。いと思ひの外なりし事なり。大かたこの京のはじめを聞けば、嵯峨の天皇の御時、都とさだまりにけるより後、既に數百歳を經たり。異なるゆゑなくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを世の人、たやすからずうれへあへるさま、ことわりにも過ぎたり。されどとかくいふかひなくて、みかどよりはじめ奉りて、大臣公卿ことごとく攝津國難波の京に(八字イ無)うつり給ひぬ。世に仕ふるほどの人、誰かひとりふるさとに殘り居らむ。官位に思ひをかけ、主君のかげを頼むほどの人は、一日なりとも、とくうつらむとはげみあへり。時を失ひ世にあまされて、ごする所なきものは、愁へながらとまり居れり。軒を爭ひし人のすまひ、日を經つゝあれ行く。家はこぼたれて淀川に浮び、地は目の前に畠となる。人の心皆あらたまりて、たゞ馬鞍をのみ重くす。牛車を用とする人なし。西南海の所領をのみ願ひ、東北國の庄園をば好まず。その時、おのづから事のたよりありて、津の國今の京に到れり。所のありさまを見るに、その地ほどせまくて、條里をわるにたらず。北は山にそひて高く、南は海に近くてくだれり。なみの音つねにかまびすしくて、潮風殊にはげしく、内裏は山の中なれば、かの木の丸殿もかくやと、なかなかやうかはりて、いうなるかたも侍りき。日々にこぼちて川もせきあへずはこびくだす家はいづくにつくれるにかあらむ。なほむなしき地は多く、作れる屋はすくなし。ふるさとは既にあれて、新都はいまだならず。ありとしある人、みな浮雲のおもひをなせり。元より此處に居れるものは、地を失ひてうれへ、今うつり住む人は、土木のわづらひあることをなげく。道のほとりを見れば、車に乘るべきはうまに乘り、衣冠布衣なるべきはひたゝれを着たり。都のてふりたちまちにあらたまりて、唯ひなびたる武士にことならず。これは世の亂るゝ瑞相とか聞きおけるもしるく、日を經つゝ世の中うき立ちて、人の心も治らず、民のうれへつひにむなしからざりければ、おなじ年の冬、猶この京に歸り給ひにき。されどこぼちわたせりし家どもはいかになりにけるにか、ことごとく元のやうにも作らず。ほのかに傳へ聞くに、いにしへのかしこき御代には、あはれみをもて國ををさめ給ふ。則ち御殿に茅をふきて軒をだにとゝのへず。煙のともしきを見給ふ時は、かぎりあるみつぎものをさへゆるされき。これ民をめぐみ、世をたすけ給ふによりてなり。今の世の中のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。』又養和のころかとよ、久しくなりてたしかにも覺えず、二年が間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。或は春夏日でり、或は秋冬大風、大水などよからぬ事どもうちつゞきて、五※[#「穀」の「禾」に代えて「釆」、544-14]ことごとくみのらず。むなしく春耕し、夏植うるいとなみありて、秋かり冬收むるぞめきはなし。これによりて、國々の民、或は地を捨てゝ堺を出で、或は家をわすれて山にすむ。さまざまの御祈はじまりて、なべてならぬ法ども行はるれども、さらにそのしるしなし。京のならひなに事につけても、みなもとは田舍をこそたのめるに、絶えてのぼるものなければ、さのみやはみさをも作りあへむ。念じわびつゝ、さまざまの寳もの、かたはしより捨つるがごとくすれども、さらに目みたつる人もなし。たまたま易ふるものは、金をかろくし、粟を重くす。乞食道の邊におほく、うれへ悲しむ聲耳にみてり。さきの年かくの如くからくして暮れぬ。明くる年は立ちなほるべきかと思ふに、あまさへえやみうちそひて、まさるやうにあとかたなし。世の人みな飢ゑ死にければ、日を經つゝきはまり行くさま、少水の魚のたとへに叶へり。はてには笠うちき、足ひきつゝみ、よろしき姿したるもの、ひたすら家ごとに乞ひありく。かくわびしれたるものどもありくかと見れば則ち斃れふしぬ。ついひぢのつら、路頭に飢ゑ死ぬるたぐひは數もしらず。取り捨つるわざもなければ、くさき香世界にみちみちて、かはり行くかたちありさま、目もあてられぬこと多かり。いはむや河原などには、馬車の行きちがふ道だにもなし。しづ、山がつも、力つきて、薪にさへともしくなりゆけば、たのむかたな...
「月かげは入る山の端もつらかりきたえぬひかりをみるよしもがな」。
底本:「國文大觀 日記草子部」明文社
1906(明治39)年1月30日初版発行
1909(明治42)年10月12日再版発行
※このファイルは、日本文学等テキストファイル(http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/bungaku.htm)で公開されたものを、青空文庫形式にあらためて作成しました。
※校正には、「國文大觀 日記草子部」板倉屋書房、1903(明治36)年10月27日発行を使用しました。
※『方丈記』の本文としては、流布本系である。
※割り注を()に入れました。
※「現在通行字体の〈し〉」「志に由来する変体仮名」ともに、「し」で入力しました。
※監修者、編纂者の没年は以下の通りです。
監修者 本居豊穎 (1913(大正2)年2月15日没)
同 木村正辭 (1913(大正2)年4月10日没)
同 小杉榲邨 (1910(明治43)年3月30日没)
同 井上頼圀 (1914(大正3)年7月3日没)
同 故落合直文 (1903(明治36)年12月16日没)
編纂者 丸岡 桂 (1919(大正8)年2月12日没)
同 松下大三郎(1935(昭和10)年5月2日没)
松下以外の没年月日は講談社学術文庫『大日本人名辞書』による。
松下の没年月日は徳田正信『近代文法図説』(明治書院)による。
編纂者等の著作権は消失している。
入力:岡島昭浩
校正:小林繁雄
2004年6月22日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
http://umu9xi.sa.yona.la/420 |
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メールが来た。
文面を見て、意味を上手く取れない。
これは、私を含めたネット上の全てを切ってしまうのか、それとも私を残してネット上のものを切ってしまうのか。
判らないから、何も出来ない。
「意味が判らないから、結局どうしたいの?」
と聞く勇気もない。
返事の書けない日々が続く。
ええっと、今年もよろしうに~^^ |
返信 |
いつの間にやらレスをつけて頂いたり、BINGOなレスを頂いているのに、2009年は終わってしまいました。
今年は、ありとあらゆる○○ハラスメント系との戦いが待っています。
それでも、やさしくいたい・・・・という自己満足の世界を満たしたいがために、私は今年もここにいていいのかなぁ。
誰もレスしない。誰かがレスしてくれる。
単純で素晴らしい世界観であると思われます(詳細は後日)
うん、ことしもよろしくお願い致しますね^^
人間失格 - 太宰治 |
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速聴の中でも比較的聞き取りやすい音源。
実際は2.4倍らしいけど、語り手の間の取り方が丁寧で実質2倍程度。
問題点を上げるとすれば、それは音量が小さいこと。
しかし、それ以外は気になる点はない。
前編の再生数100ちょっと。後編の再生数50ちょっと。
皆様、新年おめでとうございます。 |
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2oo9年から2o1o年に繰り上がる現象が、今現在も世界各地で起きております。
1o年前に3桁繰り上がり現象を体験した我々には、薄味の味噌スープのようで、
何か物足りない。「何で出汁取ってるの?えっ伊勢えび?あーそうなんだ。」
栗きんとんは、ペースト状の部分が栗であるかサツマイモであるかで、
大体の値段が決まってくる。栗の方が高級感があって正月には良いけれど、
個人的にはサツマイモベースの栗きんとんの方が好きなんだよなあ。

